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2011年4月22日金曜日

スーちゃん

ご冥福お祈りします、幸せって何なんでしょうか、地震、津波、交通事故、そして、長期闘病、1週間でいろいろな人生の転機、死、を見せ付けられました実は日常常に起こっているんですが、今回は立て続けに象徴的に起こりました、親子とは、家族とは、危機とは、死とは、そして生きるとは、本などを読めばそれなりの事が書いてあり納得する部分もあるが、人生は色々であり一括りで論じることは出来ない、一瞬にしての、肉親の死家族崩壊共同体の崩壊、故郷の崩壊、愛する我が子の10歳に満たない人生を親が見送らなければならない、行いが悪かったのか、前世が悪かったのか、あの方達は今回の事象をどう考えるのか聞いてみたいです、宗教家はどう考えてるんでしょうか、政治家は、企業家は、いくら考えても答えは出ないんでしょうね、そもそも、生と死という対極が日常背中合わせに常在してるなんて、全ての事象が対極として存在する世界、矛盾そのものです、太古の昔から延々と繰り返されているわけですが、科学は進んでも自然のサイクルの中では少しも矛盾ではないのでしょうね、日本には自然崇拝の宗教のような物があります、山、木、滝、石、太陽、星、其れ其れに神が宿るという八百万の神がいます、きっと昔から天災が多く自然に対する畏敬の念があったんでしょうね、自然と共に生きるとは死を認めると言うことかも人生最大の悲劇である死を、地球より重たい命の不条理な死を、等と色々考えていたら、父の死を思い出した、葬式が済み1週間もしないうちに仕事で出社という悲しむのはお通夜と当日だけ、後は生活に追われる毎日が待っている、見事に矛盾に打ち勝っていたんです、過度に苦しむこと無く過度に悲しまない自然の内に死を認め生きていく為に仕事をする、矛盾に満ちた人生を生きている、怒る、悲しむ、涙を流す、改めて人間の脆さ、強さ、靭やかさを思いました。ナント幸せって生きる事だったんですね、死を認め生きる、悲しむ笑う怒る涙を流す、普通の事が幸せだった、大切に生きよう、妻に感謝しよう、自分に正直に生きよう・・・・・気が晴れました・・・・単純なもんでスイマセン。・・・・・・そうそう、菅さん避難所での不手際、あの何ともな謝り方、絶好なネタの提供でゴミが喜んだんだが、ナント、スーちゃんが・・・八百万の神は菅になにをさせようというのか・・・・・・自然は優しく乱暴で美しく無残そして無慈悲だ。


               


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